探訪⑪「津波と高潮資料館」 |
早いものですね。
5月に始まった探訪も、残すところあと1回となりました。
阿波座駅に9:45集合。
沖本先生より、コースの説明がありました。
予定を変更して、<津波・高潮ステーション>の見学は、午後になるそうでした。
旧大阪府庁跡には、高層マンションが建っていました。
辺りを探訪した際に、ちょうど良い具合にランドマークの役割になってました。
天神祭は大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。
木津川橋跡。
慶応4年(1868年)に川口と江之子島を結ぶ橋として架けられた。川口には運上所や居留地ができ、江之子島には大阪府庁が建設されるなど行政の中心地となった。明治9年に橋は橋脚などの一部が鉄製となるが、明治18年の洪水で流失した。明治21年に鉄橋となり、大正2年の市電開通時にアーチ橋となる。
雑喉場魚市場は、江戸時代を通じ大阪市中の鮮魚の独占的な取引権を獲得し、大坂三大市場の一つとして繁栄を誇った。近海で捕れた魚が毎朝荷揚げされ、勇ましいかけ声とともに行われる取引は、商人の町大坂を象徴する風物だった。明治以往も雑喉場は発展を続けたが、昭和6年(1931)大坂市中央卸売市場開設にともない消滅。かって荷揚げの便を支えた百間堀川(ひゃっけんぼりがわ)も戦後の埋め立てによって姿を消し、現在記念碑が建てられている。
「泥の河」(どろのかわ)文学碑。
宮本輝の小説。この作品で第13回太宰治賞を受賞し作家デビューしている。1981年に小栗康平監督により自主制作の形で映画化された。舞台は、昭和30年の大阪。安治川の河口で暮らす信雄は両親から、近づいてはいけないといわれた舟に暮らすきょうだいと交流をもつ。きょうだいの母親は、廓舟と呼ばれる船上で売春をしていたのである。
先生の説明によると、河向こうの白い建物の手前にある黄色い船辺りが、小説の場所らしい。
昭和橋=せうわばし???
昔は、こう書いたのだろうか?
大坂船手は、大阪湾から木津川・淀川への船舶の出入りを管理・掌握することと、大阪湾に停泊している船舶を掌握することを職務とする江戸幕府の役職で、元和六年(一六二〇)に設立された。
安治川橋の碑。
江戸時代初期までの淀川河口部には九条島が流れを遮る位置にあり、洪水がたびたび起こり、また土砂堆積により舟運にも不便をきたすことが多かった。このため貞享元年(1684)幕府の命により、河村瑞賢が水路を開削し、安治川と名付けられた。その後、周辺に富島や古川の新地開発が進められ、元禄11年(1698)に完成した。安治川橋はこの新地の開発に伴い初めて架設された。
新名所?の<中之島漁港>
大阪税関発祥の地跡。
現在の大阪税関出張所。
日本聖公会大阪主教座聖堂川口基督教会が見えて来ました。
この後、中に入らせて頂きました。
旧川口居留地(きゅうかわぐちきょりゅうち)は、1868年大阪開港と同時に、大阪市西区川口付近に設けられた外国人居留地があったエリア。 旧大阪居留地、旧大阪川口居留地ともいう。
当時の様子を再現した模型です。
1920年竣工の壮麗な大聖堂である日本聖公会大阪主教座聖堂川口基督教会(ウィリアム・ウィルソン設計、国の登録有形文化財)が当時の街の面影を伝えている。
協会のお世話をしている外国人の男性の説明を聞きました。
日本人よりも丁寧な日本語にビックリぽん~
雑魚場橋跡。
かつてこのあたりに百間堀川がながれていた。川幅は30メートル程で江戸堀川、京町堀川、阿波堀川を集めて木津川に合流していた。百間堀川の東岸鷺島は、江戸時代より雑喉場の魚市と呼ばれ天満の青物市、堂島の米市とならぶ大坂三大市場の一つとして、大坂人の台所をまかなっていた。その当時の雑喉場はことのほか活況を呈し大坂商人の商人魂を培っていた。しかし、300年の歴史を持つ雑喉場も昭和6年の中央卸売市場の開場によりその歴史を閉じた。
====== 昼食休憩 =======
午後の探訪です。
忘れてはならない、<東日本大震災>の記事に見入る先生や受講生。
館内では、係員の説明を受けました。
この辺りの地形は、防潮堤なしではいられないということを改めて実感。
壁の側面に3メートルの表示が。
大地震が起きると、この高さの津波が想定されるとの説明が有りました。
大阪湾沿いの一番低い土地は、
USJなどの新しく埋め立てた場所以外は、全部海に沈んでしまうようです。
自分の場所は安全、ヨカッタ~と思って喜んでいてはダメですよ~
梅田でショッピング、そんな時に地震が。。。
ユーモアを交えた話ですが、やっぱり怖いですよね。
昔は、いざという時の備えは3日分だったが、
想定外の災害に備えて、1週間分の備蓄は必要なようでした。
みなさん、もう一度ご自宅の備えを確認しましょう!
海抜ゼロメートル以下の地域の模型が有ります。
皆さんが立っている場所が、海抜ゼロメートル。
前に見えているのは、2階の部屋です。
安治川の水門の模型。
マスコットキャラクターの< なみのすけ >
係員によると、中にすっぽりと入れるそうでした。
津波災害体験シアターで、津波の恐ろしさを体験学習しました。
南海巨大地震が起きると2時間以内に巨大津波が襲って来ます。
<迷わずに高い場所に避難する!>
<災害用伝言ダイヤル171>を活用する。
普段は何も意識していないけど、いざという時のために
これだけは注意しよう。改めて思いました。
この日の探訪は、ここで解散。
沖本先生、ご案内ありがとうございました。
次回の探訪は、3月4日。これで最後となります。
今回の記事担当は、3班のO・Yでした。
===========================