2015年 12月 07日
探訪⑧「大阪冬の陣~400年」 |
12月4日(金)は、8回目の探訪でした。
9:45 JR玉造駅に集合。
12月になり急に寒くなって、おまけに今日は強風で体感温度も厳しく、皆さんマフラーや手袋をつけての集合です。
三光神社
・創建が仁徳天皇の時代といわれる由緒のある神社。
・信州上田の真田家菩提寺より取り寄せた台座の上に真田幸村像が立っている。
・真田幸村が大阪冬の陣の際に掘ったと伝わる抜け穴。
(冬の陣の折に、籠城を決め込んだ大阪方に業を煮やした徳川家康が掘らせたものという説もある)
真田山旧陸軍墓地を通って、やって来たのは、
大應寺
・「大阪の智の巨人」木村兼葭堂(きむらけんかどう)の墓がある。
物識りの代名詞とまで言われた木村兼葭堂は、北堀江の大きな酒造家の生まれで、通称坪井屋吉右衛門と名乗った。
心眼寺
・東側の郭にあたり、1622年4月に真田出丸跡に幸村・大助親子の冥福を祈るために創建。
・定紋は六文銭、山号は真田山。
・境内に「まん直し地蔵尊(間の悪さを直して小運に変えてくれる)」「京都見回り組の墓」がある。
善福寺(どんどろ大師)
・大阪夏の陣の戦死者の霊を弔うために創建された。本尊弘法大師が後にどろどろ大師と呼ばれ、どんどろは土井殿の訛で、土井殿の邸宅があった。
・寺前の通路は、近松の名作 阿波の十郎兵衛がその子おつるを殺した所との俗伝がある。
そろそろ昼食の時間です。
ひかりのくに本社前を通って、
空堀商店街で昼食 ・・温かい昼食でほっと一息。
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午後の部に出発です。
迷路のような路地。
「 はぐれたら、出られませんよ~ 」と、先生。
沖本先生の案内無しでは、とても歩けません。。。
空堀を実感できる場所に立ち止まり、沖本先生から説明を受けました。
・大阪城郭の外堀があったことから空堀とつけられた。
・民家が立ち並ぶこの一帯によりはっきりとかつての堀跡を見てとることができる。地形から察するに空堀通りの一本南側の通りが掘の底部となっていたようだ。
・この辺りは、大阪の市街地の中では最も古い所。
鎌八幡
・大阪冬の陣の時真田幸村が、エノキの御神木「鎌八幡大菩薩」と称して鎌を打ち込み、必勝祈願をし て戦勝をあげたと伝承されている。
現在は「悪縁を断つ鎌八幡」として信仰を集めている。
高津宮址
・「日本書紀」には16代仁徳天皇が難波に都をつくり、これを「高津宮(たかつのみや)」というとある。
・中央区に「高津宮(こうづぐう)」という神社がある。大阪城付近を社地と定め社殿を築き、仁徳天皇を主神として祭ったのを創始としている。
・現在、「高津宮址」の石碑は、大阪府立高津高校の校庭にある。
産湯稲荷神社
・比売許曽神社の社地、現在は御旅所で末社。開拓神である大小橋命はここ味原郷に誕生、境内の玉井を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という。
・この地は記紀の宝庫でもある。
・またこの辺りは真田丸の前法の篠山と呼ばれ、真田が兵を配し前田勢が塹壕を掘り始めると、この篠山から狙撃し作業を妨害した。
沖本先生、一日ありがとうございました。寒い中、お疲れ様でした。
今回の記事担当は、4班でした。
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by koudai201519
| 2015-12-07 17:03